呉服町
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我が呉服町「くんち」の歴史と伝統

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 1840年頃、呉服町には具足屋などがあり、兜や甲冑などに詳しく熱心な人が居たため「源の義経の兜」に決定したと伝えられています。
 呉服町の源義経の兜は三番曳山亀と浦島に遅れること3年、天保15年(1844年)9月に獅子細工人石崎八右衛門、脇山舛太郎、塗師脇山卯太郎、大工佛師庭吉、白井久介、永田勇吉、諸金物師房右エ門らによって製作されています。
曳山「源の義経の兜」が出来る前の呉服町は「走りヤマ」と言われる「屋台山車」のような物があったのではないかと思われます。(残念ながら詳しい資料が残っていません、推測です。)
 呉服町では今も、女性が曳山を曳くことは許されていません。
一説には呉服町のお稲荷さんが女性の神様で嫉妬をされるからなどと云う言い伝えがあります。(定かではありません。)
 呉服町の曳山囃子は正調曳山囃子と言われ、太鼓の調子はシンプルでごまかしの効かない基本的な構成をしています。
それだけにリズムキープが大切で曳手の気持ちを盛り上げるのも難しく、本番で叩けるようになるには子供の頃から仕込まれ、諸先輩方に認められてやっと叩くことが許され、一人前として認められるようになるには何年もかかります。
また、曳山囃子に興味のある有望な子供はまず最初に笛と鐘を覚えます。
笛や鐘は曳山囃子に必要不可欠ですが皆太鼓を叩きたがります。笛や鐘をマスターしなければ太鼓を叩くことは許されません。
10月になると毎晩のように練習をしますがここで上達をし、小学5,6年生になり少しづつ叩かせてもらえるようになります。
笛や鐘を真面目に一生懸命取り組んでなければいけません。子供達も必死に覚えようと競い合います。
子供達も大きくなるにつれて親の言う事を聞かなくなりますが、曳山の先輩の言う事はとてもよく聞きます。
練習に一生懸命来る子供達には「曳山、曳かせんぞ!」が一番怖いのです。
こうして子供の頃から曳山の厳しさに触れ、一人前を目指します。
 呉服町の曳山巡行時の掛け声は現在は「ヨイサー」となっていますが、昔は「エンヤー」、「ヨイサー」、「オイサー」とバラバラだった時期があったようです。今は「ヨイサー」で統一されています。
 各町の祭り装束はそれぞれ違いがありますが、我が呉服町の法被は昭和初期〜40年頃まで紺色に「呉服町」の「呉」の字をデザインしていた物を着ていました。昭和40頃〜現在ではうぐいす色地の下にシコロを描き、中央に昔の「ご」の字を背景に昇り龍をデザインしています。
 時代の変化と共に我が呉服町の鉢巻も変わっています。
昭和40年頃までは薄いピンク(元は赤色か?)でしたが、平成7年まで濃い臙脂色でした。
平成8年から曳子の安全と把握のために登録制を導入、登録した人に鉢巻を渡すようにするため数年おきに色をかえるようにしました。この時にデザインも付け加えました。
一般曳子には「笹りんどう」だけの物を、呉若と二番組(OB)には「笹りんどうと五本線入り鉢巻」と一目で解るようにしました。
色はオレンジ色、昨年から臙脂色になりました。
他に台横「シコロ取り」は白色、正・副取締は幹部用黄色となっています。

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義経の兜と呉服町に関する資料

 呉服町の源義経の兜は三番曳山亀と浦島に遅れること3年、天保15年(1844年)9月に獅子細工人石崎八右衛門、脇山舛太郎、塗師脇山卯太郎、大工佛師庭吉、白井久介、永田勇吉、諸金物師房右エ門らによって製作されています。
曳山全体の総高約6.1メートル、総幅2.8メートル、奥行き4.7メートル、重さ約1.6〜1.8トンの巨大な漆塗り一閑張りの芸術品です。
 兜の製作に当たっては当時町内に具足屋があり、兜に詳しく熱心であったため決定したと言い伝えられています。
天保15年の記録にある若者の具足屋利右エ門がその人に当たります。店舗は現在の村岡総本舗の位置にあったといいます。
 この記録の中には肴屋、豆腐屋、綿屋、煙草屋、万屋などの名前がみられ、このころすでに町名の呉服屋はほとんど無かったようです。
記録中の大年寄大橋小兵衛は、もと肴屋やふろ屋を営んでいた人で現在の陶器店の家系、組頭の古館弥惣治はもとおもちゃ屋、かばん屋を営んでいた人で、現在の靴屋の家系、山掛の髪付屋作兵衛は、現在の茶舗の家系に当たり古くは両替屋であったそうです。
 1回目の修覆は安政4年(1857年)に行われたことが記録されています。
 2回目の修覆は、昭和3年(1928年)10月に塗師一色健太郎、寺村次夫(ともに米屋町)、彫刻師峯磯三郎によって行われています。
委員、小頭の中には久保、藤野、辻、古館、岩井、白井、木下、前川、前田など、現在まで家系が続いている呉服町の多くの名前を見ることができます。
 この中には肥前一の乾物屋として近隣に名をはせたという「八百徳」の深見氏の名前もあります。
呉服町は、曳山製作のころや古い修覆時の家系が今も多く残る伝統的な面をもっています。
 呉服町の伝統は、今でも山曳きに他町内の男性とすべての女性を禁止しているといった本来の曳山曳きの姿を残しているころにも表れています。
 くんち料理も以前は甘酒、煮しめ、刺身、のっぺ、かぶの酢漬けなどで、おこわや板付きのかまぼこをお土産に配ったりしたそうです。
 幕洗い行事も昭和16〜17年ころまでは、町田川で幕を洗い、土手に幕を干していたといいます。
 呉服町曳山の「肉襦袢」は、戦前には布団の布地で作ったそうですが、戦後、桃色の地に白抜きのさくらの文様のものへと変わり、昭和30年代に、紺に白抜きの「呉」字を染め抜いたもの、昭和40年代に、現在のうぐいす色の地に、龍頭と「ご」字を染めたものとなりました。


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